むしろ日本人のゲームに対するプレイスタイルは先進的なのではないか? というお話

 ネット上で何気なくニュース諸々を閲覧していると、それとなく気になる話題が目に飛び込んできた。

  • 国内ゲーム商戦、厳冬の兆し MS・ソニーは“日本外し” 低下する日本市場の存在感
  • 「据え置きゲーム」を「ゲーム」と略して大げさに見せるあたり、そっち系のメディアによくある手法だが、要約すると「PS4」や「Xbox One」を本年末に国内投入しない嘆かわしさをそれとなく記事にしました、という内容だ。しかし、記事の文末辺りでも述べられているとおり、昨今の国内ゲーム市場は携帯ゲーム機が非常に強く、自分のみならず大勢のゲームファンから久しく呟かれている「据え置き機から携帯機へのシフト」がもの凄い勢いで進んでいる珍しい国でもある。

     この状態をどう見るべきかは、据え置きが好きなのか携帯が好きなのか、はたまたその人のプレイスタイルといった価値観で異なるだろうけれど、私個人の見解で書かせてもらえれば「むしろ日本人のゲームスタイルが先進的」という一面もあるのではないか……と考えている。

     やや突飛な意見で恐縮ではあるが、そもそも据え置きゲーム機というのはハードウェアの制限(電源を供給し続けないとゲーム機に必要なロジックとその性能を維持するのが難しく、且つ表示先がテレビやモニタしかなかった昔の技術)から誕生した産物みたいな側面もある。

    現在は、今まで据え置きゲーム機が得意としていた技術がPC上で実現できるようになり(上を見るとゲーミングPCがある)、しかもCPU・GPU・メモリ諸々といったアーキテクチャの進歩が早く技術的なコモディティ化も早い。これは性能でアドバンテージを築きつつライフサイクルを長く維持させたい据え置き機にとってあまり喜ばしいことではなく、さらに追い打ちをかけたのは「そこそこの性能を発揮できるモバイルデバイス」の台頭だ。

     ここでミソなのは「そこそこの性能」で、昔は据え置き機と携帯機の性能に雲泥の差があったものの、半導体技術とアーキテクチャの進歩がもの凄いスピードで両者の差を縮め、今や「そこそこの性能」が携帯機で実現できるまでに至った。

    で、ゲーマーとしては少しでもレンダリングクオリティが高いほうが嬉しい一方で、ゲーム性やその面白さがハード性能に必ずしも比例しないことを経験上から察している。とくにゲーム暦の長い人ほどそうだろう。もちろん、テクノロジデバイスの投入で実現できた楽しさもあるのでハード性能を高めることが無駄ではないのだが、私が感じているのは──

    「大半のゲームソフトはこれくらいの性能があれば概ね楽しめるというラインを最近の据え置き機はすでに通り越していて、性能向上に見合ったエクスペリエンスを多くのプレイヤに与えるのが難しくなっている」という点。

    つまり、些細なレンダリング・プロセッシング性能差に目を瞑れば「おもしろいゲーム体験を与えるに足りうる性能」を携帯デバイスが手中にしてしまい、半導体技術のトレンドやスケーリング問題からも「性能の上を伸ばすより下を持ち上げる技術」が隆盛となっている現在、テクノロジデバイスすらモバイルにシフトしつつある。地味だけれど、無駄なエネルギー変換(ロス)を抑えつつ性能を上げるための工夫というのも立派な最先端テクノロジなのだ。

     そういう意味では、移動中の車内だろうが行列待機中だろうがベッドで寝転がりながらだろうが、一日の行動の中にある「ちょっとした時間」に何処でもプレイできる・時間潰しができる携帯機の利点をそれとなく察し、プレイスタイルというか楽しみ方を日本人なりに突き詰め、それが技術的トレンドと足並みを揃えるが如くモバイルにリンクしているのだとすれば、ゲーム業界における日本のポジションをそう悲観するものではないと思ったりもする。

    ただひとつ、「遊び方」が時代と共に多様化し変化したのだと。

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